人工知能の産業化を真剣に考えるブログ

人工知能にオックスフォード大学の研究発表で仕事が奪われると言われているが、実際の産業にAIが導入される場合にどうなっていくのかを考えるブログ

今の子供たちが人工知能時代に、失業しないためにはどうすべきか

 「AI失業」は、ビジネス誌がこぞって取り上げた問題である。「あなたの職業は30年後にもあるのか」というもので、出典元はオックスフォード大学の論文で提示された「あと10〜20年でなくなる職業と残る職業」である。本書でも、そこから作成したリストが紹介されている。

 しかし、これまで見たようにAIブームによって立ち上がる新しいビジネスも多いはずだ。ここでは、機械学習そのものを提供するビジネスを「コア・テクノロジー」とした米国ブルームバーグ社のアナリストによる世界の人工知能ベンチャーをまとめた図も同時に紹介されている。

 テクノロジーによる社会変化は避けられないものであり、人間が依拠するのが本来の「ものを見るチカラとものを考えるチカラ」に立ち戻ることは悪くない潮流だ。ベンヤミンの『子どものための文化史』を、子どもにはプレゼントしたい。

 ただし松尾豊氏が言うような「人工知能技術を独占される怖さ」、とりわけ「人工知能による代理戦争」には大いに警戒したい。結局のところ、これまでに人類が生み出してきた宗教や時間、貨幣の概念や実体のように、AIが人間にとってある種の「第三者の審級」として働くかどうかは、人間自体にかかっているのだ。

生活密着型サービスの可能性

 2016年12月19日には、マーク・ザッカーバーグが2016年の「個人的な挑戦」と位置づけていた「映画『アイアンマン』シリーズに登場するデジタルアシスタントシステム『J.A.R.V.I.S.』のような人工知能システムを開発する」という取り組みの成果が発表されている。

 Jarvisの仕事は、ザッカーバーグ邸の照明や室温、家電製品、音楽、セキュリティーを管理すること。さらに「住人の好みや習慣を覚え、新しい言葉や概念を学習し、さらにはマックス(ザッカーバーグの娘)を楽しませる」ことが目標とされていた。

 面白いと思ったのは、ザッカーバーグが「音声認識よりも先に、文字を認識して応答するようJarvisに学習させた」という点だ。そのことにより、メッセンジャーボットとの対話が可能になり、「個別のアプリを開発するより、はるかに簡単だった」と彼は言っている。

 アトサキを変えることで、難関を軽々と突破したかたちだ。今年は「どのように言語を学ばせるか」そして「新しいことをどのように学ぶか」を長期目標としたい、とザッカーバーグは言っている。「方法の時代」を実現する80年代生まれには、驚嘆するしかない。

 Jarvisがどのように動くのかを紹介する動画はすでに2600万回近くも再生されているが、わたしたち素人にとっては、何がどう画期的なのかよくわからないというのが正直なところだ。

一次産業へのAI導入の可能性

仮に農業(一次産業)にAIが導入されると、どういう変化が見込まれるのだろうか。

 例えば「間引き」という作業は、これまで自動化が極めて難しいとされてきた。「どれを間引いて、どれを残すか」の判断を下すことが、機械ではできないからだ。しかし、ディープラーニングを使えば間引きはごく簡単な作業になってくる。「認識ができるか、できないか」すなわち「目があるか、どうか」によって、これまで困難だったタスクが簡単に自動化されてくる。実際に、狭い通路を往復しながらトマトの色、形、位置を正確に読み取り、手作業同様に収穫を行うようなロボットも登場している。

 「読める」ことは、次への飛躍のステップになる。「熟したかどうか」だけでなく、「病気になっていないかどうか」「糖度の高さはどうか」などを読むことができれば、それに対応する施薬や施肥なども適切かつ大量に行なっていけるからだ。センサー技術を活用すれば、視界の悪い夜間でも運用が可能なことは、「収穫時期を外したくない」農家にとって大きな朗報だろう。

 自然環境の側からすれば、人間+機械による「収奪」がさらに徹底されるわけであるが、このあたりへの配慮もAIの設計基準として組み込んでおけば、貪欲な「人類(ないし法人)の暴走」へのストッパーとして働いてくれるかもしれない。

日本のものづくり技術とAIの組み合わせでチャンスが生まれる

 松尾豊氏はスタンフォード大学で客員研究員だった頃(2005〜2007)に、ヤフーのトップ研究者が大学で検索エンジンの作り方を教える光景を目の当たりにして、ビジネスと大学の間の「ゲーム・チェンジ」を実感したという。それ以前から「技術をベースにして企業が急成長し、その企業が再投資して、さらに技術のレベルが大変な勢いで進化するさま」を、同世代のセルゲイ・ ブリンとラリー・ペイジ、80年代生まれのマーク・ザッカーバーグが躍進するさまなどにまざまざと見せつけられてきた彼にとっては、日本の認識の遅れを痛感する瞬間だっただろう。

 そんな松尾氏が、人工知能分野において日本が国際的な産業競争に勝ち残るための課題だと、現在感じていることは五つある。「データ利用に関する警戒感の高さ」「データ利用に関する法整備の遅れ」「モノづくり優先思想」「人レベルAIへの懐疑論」「機械学習レイヤーのプレイヤーの少なさ」だ。

 しかし、現在の日本には少子高齢化をはじめとしたいろいろな社会課題がある。農業や介護の分野にAI搭載ロボットを参入させていくことで、技術によるソリューションが可能となり、海外への輸出産業の道も拓ける。「不足」を逆手に取った彼の方法論には説得力がある。「モノづくり」企業が抱える危機感が高まったとき、日本のAI新時代は始まるのかもしれない。

ディープラーニングで目を持ったAI

 「ディープラーニング(深層学習)」は、2006年ごろから始まった機械学習の新しい方法である。「データをもとに、コンピュータが自ら特徴量を作り出す」のが、これまでの学習とは違う特徴だ。

 ディープラーニングによって、AIの画像認識の精度は飛躍的に向上した。その成果は、コンピュータに「運動の習熟」と「言葉の意味理解」をもたらす。松尾豊氏は、ディープラーニングを「人工知能研究における50年来のブレークスルー」と呼び、「ディープラーニングは機械に『目』をもたらした」と表現しているが、「これまでの機械やロボットには『目』がなかった」という言い回しには、それこそ「盲点」を突かれた思いがした。

 さらに、松尾豊氏は10MTVオピニオンという動画メディアでアンドリュー・パーカーの著書『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』(草思社)との照合から、今後のAI搭載機械は爆発的な多様化の時代を迎えることを予見している。

人工知能が出来ることって何?

人工知能が出来ることって?

 レベル1から4の段階に応じて、人工知能が出来ることはステップアップしていく。松尾豊氏は、これを流通倉庫を例にとって説明している。

 詳しい説明は省略するが、「言われたことだけをこなすレベル1はアルバイト、たくさんのルールを理解し判断するレベル2は一般社員、決められたチェック項目に従って業務をよくしていくレベル3は課長クラス、チェック項目まで自分で発見するレベル4がマネジャークラス」というメタファーは、とてもわかりやすい。

 しかし、一歩引いてみると、人間にだって得意・不得意はあり、その日の体調や意欲一つで関係性の強弱も異なる。「レベル4はおろか、レベル2にさえ達しているのだろうか?」と危ぶむことだって、しょっちゅうあると思うのだ。

 人工知能は、錬金術や不老不死同様、長年の人類の夢であるが、「何に使うのか」を想定できないと、技術だけが先走りしてしまう危険性から、いわゆるシンギュラリティ・パニックが起こるのであろう。

人工知能とはそもそも何か?

人工知能に多少なりとも興味があるなら、「この本は読んでおかなくては」と勧められたのが、松尾豊『人工知能は人間を超えるか』(角川EPUB選書)だ。

 著者によれば、「人工知能とは何か」には、専門家と世間の間でずいぶんかけ離れた解釈がなされているという。なぜなら、人工知能の定義は専門家の間でも定まっていないからだ。

 ちなみに松尾氏の定義では、人工知能は「人工的につくられた人間のような知能」であり、人間のように知的であるとは「気づくことのできる」コンピュータ、すなわちデータの中から特徴量を生成し現象をモデル化することのできるコンピュータという意味だという。

 しかし、「『知能を持つメカ』ないしは『心を持つメカ』」と定義する学者もいれば、「究極には人間と区別がつかない人工的な知能」とする学者もいる。中には「知能の定義が明確でないので、人工知能を明確に定義できない」とする学者もいる。

 しかし、世間的に「人工知能を搭載した製品」はすでにルンバやエアコンなどにまかり通っている。これらは松尾氏からすると「レベル1の人工知能」であり、ハインラインの『夏への扉』に出てくる文化女中器(ハイアード・ガール)などは「レベル2」、機械学習を取り入れた人工知能が「レベル3」で、ディープラーニングを取り入れた人工知能は「レベル4」に位置づけられるのだという。